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人生いろいろ

最近二つ年上の姉と長電話が続いております。メールな時代に長電話なんて懐かしい感じです。実は姉の人生も見事なほどの波瀾万丈で、昨年の11月に離婚したほんの一ヶ月後に元旦那さんが心不全で突然他界してしまいました。なんという境遇なんでしょう・・・。
再婚同士の二人は夫に連れ子がおりました。
子供のできない姉は「この子の母親になりたい」という理由で再婚をした第二の人生でした。
それまでもあまり人に言えない波乱を乗り越え、心機一転の幸せなリスタートでしたが、
数年もすると息子も成長し、巣立ってゆき、残された夫婦の関係はこの不況時代を生き延びるには難しい義兄でした。お酒の量が増えるばかりで、糖尿病から合併症を引き起こし、一昨年前には姉がついに悲鳴を上げてしまいましたが、ここは人生の落とし前をつけるまさに、ピンチはチャンスな時だからと、父は心を鬼にして姉にいくつかの課題を与えました。
その課題がきちんとクリアしたら正式に離婚しなさい・・・と。
こんな時長女という気質は人生の信用回復のためにまじめに頑張りまして、義兄を想いながらも一年をかけて離婚へと向かったのでした。

そしてようやく決着がついた矢先の出来事でした。
自殺・・・?と疑われてもおかしくない離婚の一ヶ月後です。
義兄は穏やかな寝顔で心不全で亡くなっていたそうです。
あまりにも不器用な人生でしたが、飛ぶ鳥跡を濁さずで、息子さんにもわずかな遺産を残して旅立って行きました。
そんな姉との会話は人生をお浚いするかのように
幼少の頃の記憶をたどり合いながら、いつから道を外すきっかけになったのかを探り、そしてその一つ一つを解析しては心の傷を客観的に見るようにします。
親の一言に一喜一憂してきた子供時代。
その親も今想えば若輩者だったということです。
親は完璧な大人であると信じていました。
親の言うことは絶対という長女はダイレクトだったからこそ、その期待に応えられない自分を卑下し、反抗期へと向かい、息苦しい家を飛び出して行ったのでした。
こうして姉と話していると、次女の私とは受け止め方がまるで違っていました。なんて不器用な姉なんだろうとずっと想っていましたので、ほんの少しぶれてしまった軸が人生を大きく左右していたというのが、冷静に感じることができるのです。
人生をどこで軌道修正させて行くのかは、今の立ち位置をしっかりと見極めることだなと痛感します。身の丈にあった生き方ができているか・・。
姉は謙虚に真摯に人生の軌道修正の道を歩んでいます。
ささやかな幸せはダイソーの仕事と、ペットの猫と、アメリカに行ってしまった息子さんとの交流だそうです。
私はそんな第三のリスタートをきった姉が好きです。家族の絆をあらためて気づかせてくれた姉の波瀾万丈にエールを送りたい気分でした。

最後に突然ですが、私事なつぶやきであるTwitterとfacebookを退会しました。
沢田知可子としての責任がとれないことが、関わる方にも自分にも申し訳ない気持ちでおりました。中途半端やいい加減な気持ちをつぶやくのは、家だけにしておこうと思います。
そして、ここのブログをこよなく大切に綴らせて頂こうと思います。
どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。