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ただいま 宮古島

この島はまさにミラクルの連続です。
ミラクルで、ぴるます(不思議)なご縁に誘われた旅でした。
到着するなり、カンカカリャ(祈祷師)の浜川綾子さんから、「池間島のナナムイにいるからすぐおいで」と言われて車で向かいました。
ナナムイとはウハルス御獄(ウタキ)のことをカンカカリャはそう呼ぶそうです。

その昔、薩摩藩の指示で沖縄の御獄という御獄に鳥居を立てさせたことで、日本的には神社と同じ位にありますが、これまた琉球ならではの習わしがあり、ただならぬ聖域なのです。

私にとって、ウタキへの参拝はまさしく宮古島へのご挨拶という想いです。
何事もなくみんなで仲良く過ごせますように・・・。
宮古島へまたこうして帰ってこらたことへの感謝。
また宮古島の人々の健やかなる日々を、平和を・・・変わらないことへの感謝そしてコンサートの成功を祈願し、カンカカリャの浜川さんやつかさんまーと呼ばれるその島から選ばれた祈祷師の女性達3人に願い(ニガイ)を託すのです。

車で宮古島を一周しながら、本当に美しい島だなとつくづく思います。
池間大橋からふと海をのぞくと、高い橋の上からでも
海の透明度はものすごく澄んでおり、ウミガメが挨拶に来てくれそうです。
そうかと想うと、無人の砂浜に外国からのゴミがやまほど流れ着いている海岸があり、胸を痛める場所もありました。
ゴミは人間の生活から生まれます。
生きるための必需品は、捨てた瞬間にすべてゴミであることを目の当たりにする場所が必ずあるものです。
こんなに美しい島だからこそ、目立つのかもしれません。
そんな矢先にあらゆる廃棄物、有害物質さえも無害にしてしまう焼却炉を開発した木内鶴彦さんを応援されている女性に宮古島で出会いました。
宇宙時間の話にまでさかのぼってしまう、まさにぴるますな女性だったのですが、その不思議体験という話よりも、あらゆるゴミを無害に焼却するというシステムを一日もはやく世界中に広げて欲しいと切に切に願う、世界をクリーンに変える魔法の焼却システムだと想いました。
国際特許も取得し、アフリカでも早くやらせて欲しいとの切望もありながら、まずは宮古島からはじめたいという宇宙的こだわりがあるそうなのです・・・・。

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え~~~~東京の石原知事~~~!
これはまさしく東京のゴミから変えたら世界が変わるよ・・・なんて、想ったらすでに「前例がないから」と
日本ではあらゆる行政からやんわり逃げられているそうです。
嗚呼 無情・・・レミゼでっせ・・・。

ゆえに宮古島を世界発信の発祥にしたいということらしいのです。
なぜなら宮古島は地球のへそなのだそうです。

益々・・・宮古島に惚れてまうやろ~~~!
話はよ~く わかりました。

ほんなら一肌脱ぎましょか・・・。
たった今からわては、あんたの応援団や~~~!

(って、興奮すると心は関西弁になる私。
関西弁って、なんか情熱的響きがありますもんで。)

しかし・・・宮古の方は関西タイムのいや私の興奮タイムの10分の1くらいなものんですから、会話はすでに亀とウサギ・・・。

そんなん、のんびりかまえていたら地球が滅びまっせ~!
ってな気分になりつつも・・・いや、これほど興奮させてくれる深い話を、絶対に宮古島からはじめるという確信があるからこそ、慎重になれるんだと想いはじめたわけです。

興奮と反省と創造で、あっという間に時間が過ぎました。

これがまたぴるますなんですが、全ての出会いが実はみな繋がっていたということだったのです。
たとえば、私を一番最初に宮古島のご縁を作ってくださった元アトールエメラルドの支配人が、このぴるます女性の同級生だったということが判明したり、
ゴミを拾い、木をうえようという運動でライブをさせて頂いた宮古島トヨタの根間さんがきっかけで、
木内鶴彦さんを知ることができたのでした。

「すべてはみな偶然じゃないからね・・・ちゃんと決まっているんだよ」
浜川さんのことばは、ふわふわとしながらとても重いです。

そしてこの絆を繋いでくれながらも、3年前に26歳でリンパ癌で亡くなった静香さんの慰霊に手を合わせた瞬間、「ピアノ・・・弾いてください」と感じました。
生前彼女が子ども達にピアノを教えていた部屋にあるグランドピアノを夫が弾き始めました。
お互いに打ち合わせもなく、夫は「光のしずく」のイントロを弾き始めました。
この歌を鎮魂歌として歌わせて頂きながら、この島で歌うべくことだまが詰まっているのを感じました。
次に彼女が弾いていた本から、「ハナミズキ」を母親に捧げました。
歌い終わると「おかあさん、ありがとう」
って感じました。

「静香はここにいるよ・・もっとピアノを弾いてあげて」
そんなメッセージを感じて、ピアノ教室としてこの場所を開放してあげたらどうか・・と伝えると、なんと母親も同じことを考えていたということだったのです。
実はもう夢で言われたと言ってました。

こういうことって、なんだか宮古島では当たり前の会話として成立してしまうんです・・・。

ディナーショーは普通60分くらいが相場らしいのですが、なんと2時間もたっぷりと夫婦ライブをさせて頂きました。
もうできるだけオリジナルを歌ってほしい・・。

なんと嬉しいリクエスト・・・歌いますともさ。
そんなわけで、調子に乗って気づいたら2時間でしたが、本当にみなさんに歓んで頂きホッとしました。

思い起こせば、わたしら夫婦がはじめてご一緒したコンサートが宮古島です。
19年前の4月だったかな・・・総合体育館で91年に「会いたい」が少しずつ浸透し始めた頃です。
その場所で記念写真も撮って・・・

ただいま・・・宮古島。