会いたい紀行

スリランカ紀行 2nd:ナマダ・ハムエム(またお会いしましょう!)

またお会いしましょう!
1987年のデビュー当時、原宿の表参道にあるレコード会社に通う途次ずっと気になっていた素敵なショップがありました。「生活の木」という名前の清潔感あふれるその店に18年も経て大いなるご縁が生まれようなどとは想像もしませんでした。
そのきっかけは2003年人間力大賞授賞式に5年ぶりに偶然再会したTBSアナウンサー秋沢淳子さんでした。彼女はスリランカのスプートニックに日本語学校を設営するために多大なる援助をしたことが受賞内容でした。
私は「gift」の歌に込められた「がんばれ」というメッセージが生きる力を与える歌として社会貢献に結びつくという内容での受賞でしたが、まさかこのふたつの人間力がスリランカへと誘うきっかけになるとは当然夢にも思いませんでした。
その後2004年の11月「沢田さんスリランカへ行きましょう!」という秋沢さんの一言で実現してしまった日本スリランカ文化アワードの日本ゲストとしてスリランカへ招かれることになったわけです。
その打ち合わせもかねて待ち合わせに指定されたのが以前から気になっていた原宿「生活の木」だったのです。
スリランカの「Tree of Life」というホテルの宿泊を提供して下さった重永オーナーのお陰で最高のスリランカ紀行となった感動と感謝を伝えるべく報告会の直後、12月のあのスマトラ沖地震と大津波のニュースがとびこんできたのです。
重永さん、秋沢さんのやりきれない心情はスリランカを救いたいという情熱へと変わり、魔法の波紋を投げかけたのです。
その想いに少しでも応えたいという願いも重なって小さなチャリティーライヴからのスタートでした。
有志が少しずつ膨らんで行くプロセスを見守りながら原宿の小学校で「がんばれスリランカチャリティーフェスティバル」へ、そして今回の「GAMBARE Sri Lanka TSUNAMIチャリティーコンサート」へと発展して行きました。
ホテル「Tree of Life」の現地スタッフも一丸となってのチャリティーコンサートはスリランカのアーチスト達も多数参加し、フレンドシップコンサートになりました。
全てのチャリティー基金は津波で被害が最も激しかった地域への仮設住宅の提供に充当されることになりました。
世界を震撼させたTSUNAMIという最大のピンチを大いなるしあわせへの架け橋にしたいという想いは日本とスリランカの架け橋にもつながると信じております。
そしてTSUNAMIの犠牲になったたくさんの尊い命に謹んでご冥福をお祈りするとともに復興に向けて懸命にがんばっているスリランカの皆々様に心よりお見舞い申し上げます。

須田大使御夫妻、松尾一等書記官に再びお目にかかる事が出来ました。津波の時には大変なご苦労があったと思いますが皆さまお変わりない様子で安心致しました。
大使御夫妻のお心遣いに感謝いたします。
ありがとうございました。

今回ずっと私たちをサポートしてくれた「Tree of Life」のスタッフです。
コンサート当日は”GAMBARE Sri Lanka”のポロシャツを着てみんなで応援してくれました。
また必ずお会いしましょう!

ボホマ・イストゥディ。