ESSAY

奇跡のダイヤモンド

ご縁の賜としか言いようのない作品が生まれた時、感無量になります。

それは自分の経験やチカラが及ばない、何か違う働きによって、無心で動かされた事への感動なのかもしれません。「奇跡のダイヤモンド」はそんな1曲です。

東京オリンピック代表の水泳選手瀬戸大也さんへの応援の歌として完成したのは2016年のリオオリンピックで瀬戸選手のレースをお茶の間から応援していた時でした。奇しくもメダルを逃したそのレースの後で、彼の父親からの宿題となっていた「アスリートの親からの応援歌」を作ってほしいという、まさにその歌をつくる事が出来たのです。

ご縁のはじまりは瀬戸大也君の祖母であり原宿少年少女合唱団の指導者である瀬戸典子先生。

2005年に起きたスマトラ沖津波へのスリランカチャリティーコンサートを原宿の小学校の体育館で行った時に出会いました。ひときわ目をひくほど華があり、博愛に満ち、それでいて厳しさもあって、私は先生のファンになりました。スリランカへの旅を幾度と共にして、気づくと母と同じ歳の心友となっていました。先生が古希を迎える時は「ありがとう」の歌が生まれました。

先生のご主人を天へお見送りするお別れの会では瀬戸先生がこの「ありがとう」を録音して見送ったのです。

その時はまだ中学生だった大也君とはじめてお会いして、献杯の挨拶で「オリンピックの選手になります」と公言され、お通夜にも関わらず大いに盛り上がったのでした。

2012年のロンドンオリピックの時はインフルエンザで出場を逃しましたが、彼の父親は8年後を見据えて私に言ったです。「2020年は必ず東京にオリンピックが誘致されるから、それまでに

アスリートの親たちの応援歌を歌ってよ」リオオリンピックが決まったばかりの頃にその先を見ていた大也君の父親もただ者じゃありません。流石瀬戸先生のご子息です。

しかし子どものいない私は、その時は本当にピンときませんでした。

心を奮い立たせるオリンピックの応援歌は沢山ありますし、私にその役目は大き過ぎると気持ちが負けていました。ところが、リオオリンピックで大也君を応援しながら、メダルを逃したレース直後にその想いが止めとなく溢れてきたのです。きっとあの時に、レースに勝っていたらこの歌は生まれませんでした。幾千の道のりを共に歩んできた親だからこそ伝えることができるメッセージが込められたと思います。出来たてホヤホヤの楽曲を瀬戸ファミリーにすぐに聴いてもらいました。完成の歓びを分かち合いながら、その時たまたま同席して下さった世界的バイオリニストのF氏が「僕もこの歌を応援したい」とおっしゃって、演奏して下さったのです。これも奇跡の一つです。気づくと瀬戸大也さんは家族を持ち父親にもなりました。

「奇跡のダイヤモンド」は親から子へ贈る応援歌ですが、夢に向かってがんばっている人へ贈る

天命を与えてくれた神様からの応援歌であってほしいと願っています。

私はその代弁者でありたいと切に願っています。