ESSAY
ココロとカラダに優しいチカラめし #18
献杯
恰幅の良かった父が30キロ台になって6月8日88歳で永眠しました。偶然にも姉の誕生日です。初孫である姉を可愛がった祖父母がこの日を選んで迎えに来たのでしょう。粋な図らいだと思いました。思えば2年半前の正月に脚を骨折してから入退院を繰り返して、糖尿病から腎臓が弱り人工透析もして、心不全もあり最後の入院では心臓が10%しか動いていないと、今のうちに会える人に会わせてくださいと言われたのが1ヶ月前でした。地元さいたま芸術劇場で開催される澤田知可子のコンサートに何としても行く事を目標に約束を果たして来れたのです。それもちゃんとお洒落をして…。第一部しか観られない父に聴きたい曲をリクエストしたら「gift」と「空を見上げてごらん」はどうしても聴きたいな…と、ここまでは以心伝心。やっぱり「会いたい」も聴きたいよな…というカスカスな声でのリクエストに急遽曲順の変更をお願いして、「会いたい」を前半に歌うという我儘を会場のお客様は温かい拍手で許してくださいました。これが父にとって今生のラストソングかと思うと感謝と寂しさで胸がいっぱいになりました。ある日病院のTVで小田原特集を観た父から「守屋の薄皮あんぱんが食べたい」と連絡があり、買い行くと売り切れで代わりに薄皮饅頭を買って見舞いに行きましたが、固形のものは殆ど喉を通らなくなっていました。父の糖尿病歴はとても長くて、インスリン注射は御手のものでしたが、野菜嫌いで病院のご飯はほぼ食べられなかったようです。不良患者としての父はいつもこっそりとファンタグレープをジューっと美味しそうに飲んでました。奥方の訓子さんが水筒に薄味にしたしじみの味噌汁やお粥を入れて食べさせてくれていました。売店へ連れて行くとサンドウィッチをパクパクっと一気に食べてしまうほど入院中も偏食を貫いていましたがついに点滴での栄養補給となり、47キロから体重が30キロ台になって行きました。入退院を繰り返した2年半で退院する度に「ステーキが食べたい」と200gをペロリと食べていた父。お酒は弱いのに、ノンアルコールでいいからシュワっとしたシャンパンみたいなのが飲みたいと言い、せっせとリクエストに応える共犯者の私。茶目っ気たっぷりの我儘なリクエストが生きるチカラでした。完璧じゃなくていい、治ること、長生きすることが目標じゃなくていい、曾孫に会える歓び、愛妻の味噌汁、姉に委ねた会社への未練と執着も、弟への現実的処理の申し訳なさと頼もしさも、ちかパパとしての華やかな瞬間も、全てが人間らしく、父らしい人生だったと思います。娘として父は最高のファンを貫いてくれました。歌手澤田知可子をデビューからずっと応援してくれました。当日父は50歳!お手紙大作戦で沢山の方に「沢田知可子をよろしくお願いします。」と新譜やコンサートの度に父1人で500枚もチケットを手売りしてくれた事まで、、、父の大いなる達成感です。「これからはお前達と一緒に旅について行くよ」と夫に言えば、「お父さん着いてくるだけじゃなくて、ちゃんと知可子をもう一度ブレイクさせて下さいよ」と夫がはっぱをかけると、「おぅ!任せとけよ」と男同士のチカラ強い約束を交わしたのでした。父の告別式は大分、下関、熊本とLIVEツアーから歌でお見送りとなりますが、LIVE会場に父は同行してくれると思います。これからは空組で応援宜しくお願いします♪
ちかパパとしての父に温かく優しく仲良くして下さいまして、本当にありがとうございました。
「ちかパパ」と呼ばれる瞬間のあの父の幸せそうな顔が私のタカラものです。 献杯