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追悼 ホイットニー・ヒューストン
悲しい・・・・。
同じ年齢の世界のスーパーヴォーカリストであるホイットニー・ヒューストンが死去してしまいました。
思えば歌手を目指してアマチュアでライブをしていたころに、全世界でデビューをし、そのデビューアルバムがいきなり1000万枚をセールスしてしまった怪物なる新人アーチストが自分と同じ年齢であったことに、誠に勝手ながら当時は大きなショックを受けました。
方や都内のライブハウスで明日を夢見て唄っていたまだまだ未熟で不安定な私から見た彼女は全世界を相手に堂々たるパフォーマンスでパーフェクトな歌を披露していました。
比べるものじゃないとわかっていました。
上を見たらきりがありません。
自分の道をこつこつと信じて歩むしかないと思っていました。
憧れの背中合わせには絶望感が潜んでいるんですね。
私なんか・・・そんな悲観的な自分を嫌いました。
そんなとき当時一緒にライブに立ってくれていたキーボードの女性しのちゃんからの優しい応援があの時のだめだめな自分を奮い立たせてくれたものです。
「うまく唄おうなんて思わない方がいい。心にくる歌を探そうよ・・・。」そしてホイットニー・ヒューストンのGreatest love of allをギタリストのジョージ・ベンソンがうたったアルバムを聴かせてくれました。
柔らかく、極々シンプルに唄った同じその歌にわけもわからないまま涙が止まりませんでした。
ぽろぽろと泣いている私にしのちゃんは
「音楽は誰かと戦うものであってはいけないと思う。ちかちゃんはいつかこんな優しい心の響く歌を歌う人になってほしいから・・」と言ってくれたのです。
あの時から私は私の歌を好きになり、育むことを教わりました。
いつしか私も歌手になり、「幸せになろう」という歌が完成したときに、ホイットニーが日本で公演をすると知り、チケットは完売されていたので、彼女が宿泊しているホテルに押しかけ、フロントの方にこのCDをホイットニー・ヒューストンさんに渡してほしいと、今から思えば恥ずかしく、相当アホな行動をとってしまいました。
もちろん当然、渡るはずもありません。
そんな思いがけない自分の大胆不敵なアホなる行動もあのころは真剣でした。
それくらいにホイットニー・ヒューストンという世界のスーパースターが私に夢の種子を蒔いてくれたことへの感謝をどうしても伝えたかったんだと思います。
神さまが与えた寿命はあまりにも短いと思います。この人生の年輪を同じ世代で感じてきたあなたの思いを歌にして聴かせてほしかった。
もっともっと大切に生きてほしかった。
計り知れない重圧と孤高なる愛を生きることで、歌うことで乗り越えてほしかった。
憎らしいほどあなたの歌がやっぱり好きでした。
日本の同じ歳のちっぽけな歌手志願の普通の女の子を奮い立たせてくれた世界のヴォーカリスト
ホイットニー・ヒューストンに敬意を込めて、
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。