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福島慰問ライブの旅レポート

5月26日から4日間に渡り、福島で慰問ライブの旅へと行って参りました。
7カ所を巡りながら、震災の心の痕跡に触れ、今を生きるための鎮魂歌を歌わせて頂いてきました。心溢れる福島の人々との絆作りコンサートのレポートをご紹介します。

一日目、いわき市中央台南小学校の体育館では、原子力発電所がある楢葉町の方が70名ほど避難生活をされていました。この南小の合唱部の子ども達と一緒に慰問ライブをさせて頂くことになりました。
「体育館や校庭にある花壇に水をやったり、掃除をして下さって本当にありがとうございました。」と避難生活をされている方への感謝とお見舞いを込めて、小3から6年生までの児童30名による「翼をください」は心に響きました。いわき市の子ども達だって、震災直後は水が止まり、電気が止まり、心細い想いを体験したわけですから、その分、人に優しさを配ることの大切さが込められているようでした。
「ふるさと」をみんなで合唱しましょうとなると、感極まって泣き出す子どもがおり、
「泣くことを我慢しないで、どうぞこの時間は泣いてください・・・」と、大人も子どももみんなで涙をたっぷり流して歌いました。
震災直後からずっと体育館で過ごされている、同じ世代の女性から、泣かせてもらって本当に心が軽くなったと言って頂き、気丈に頑張ってきた想いが伝わって、胸がいっぱいになりました。
一緒に歌った子どもたちから帰りに四つ葉のクローバーをプレゼントしてもらい、歌い終わって清々しい笑顔の子ども達に安堵しながら見送られました。
一日も早く、故郷へ帰れますようにと歌った「光のしずく」という歌を今度は子ども達の合唱曲として歌ってくれると約束してくれました。
「ぜひ子ども達と一緒に慰問コンサートを・・・」と南小の合唱部の保護者である藤野さんの リクエストで、この慰問が実現したのですが、翌朝この時の様子をNHKのニュースで見たよと、熱海や神奈川の知人から連絡を頂いて、はじめて全国ネットでニュースになったと知りました。まさしく子どもパワーの賜です・・・ありがとうございました。

次なるステージはいわきのライブハウスBar QUEENでの慰問ライブ。
マスターである加藤さんは震災直後から避難場所の炊き出しをしたり、がれき撤去のボランティアをしたり、いろいろなアーチストたちの慰問ライブをアテンドして、いわきの復興のためにもの凄く頑張っておられます。この日も中央台南小学校からずっとアテンドして頂き、本当に頭が下がる想いでした。

Bar QUEENにおいては「光のしずく」を500円のチャリティーCDとして売らせて頂き、収益金をいわき市の国道6号線沿いの花壇の愛護団体へと寄付させてもらいました。
地元の農家のご厚意で毎年この時期にマリーゴールドの苗木を寄付されていた方が亡くなり、そのご厚意を受け継ごうと愛護団体を発足させた方が、マスターに相談したことで、私にご縁が繋がったのでした。その想いを花工房のゲブラナガトヨの荒井ひろこさんが快く引き継いで下さり、なんと苗木を寄贈して下さる運びとなりました。今回の基金は次回の苗木代に使ってくださいとなり・・・なんと素敵な絆というバトン・・・。心ばかりの金額でもお金に代えられない価値をいっぱい頂きました。この絆で咲かせる花を心から楽しみにしています。

二日目は会津の芦ノ牧にある丸峰観光ホテルと高田幼児保育園に慰問ライブに参りました。二カ所とも楢葉町の避難所です。
この日は会津美里町の役場が出張所となっている楢葉町の副町長に表敬訪問しました。
もとより会津美里町と楢葉町は防災避難の姉妹町となっており、震災直後の避難移動はどの町よりも速やかに行われたそうです。比較的放射線量の数値が低い楢葉町であっても、来年の今頃までには帰れるかどうか・・ということで、避難生活の方達の一日も早い自立支援を願うしかない、厳しい現状を伺いました。
避難所と言っても、ホテルと保育園ではまた環境があまりにも違います。
微妙にその違いは表情にも表れるように感じました。保育施設にはお子様連れの方が多く、子どもも母親も泣くに泣けない、我慢の顔が印象的でした。
優しくしたいのに、叱らなくちゃいけないママのストレス。
しっかりしてて当たり前でないといけない職員の青年が別れ際に、辛さをはき出すように泣いてくれました。
福島県はとても広く、海に近い楢葉町の方は、山の会津での寒さの違いも体調にあらわれたそうです。
「住めばみやこだ・・・」と環境に馴染む方もいれば、一キロでも家に近いところがいいといわき市の体育館に移動される方もいました。
また楢葉町へ帰れる日は近いと信じて、地元で仕事を探すために若い男性たちが何人かいらっしゃいました。しかし力をもてあましているようにも感じました。働きたくても働けないストレスも深刻です。一日も早く楢葉町へ帰れることを心から願う慰問ライブでした。

三日目は喜多方の幸橋完成記念イベントでの野外ライブ・・・。
実は今回の慰問ライブの旅が実現したのは、このイベントの謝礼金のお陰なのです。
地元のコミュニティーFM喜多方の小田切さんが繋いで下さったご縁で、スタッフ含めこの旅の経費を賄うことができたのです。喜多方といえばラーメン。お陰で美味しいラーメンだって、朝からありつくことができたわけです。本当に心から感謝しております。

FM喜多方は震災直後、全国コミュニティーfmの協力で新潟に集められた2000台のラジオを新潟から各被災地へと何度も往復して配られたそうです。
水も電気もガソリンもままならなかった時期に命がけの配達だったと想います。
「俺ら放送業界に携わる者ができる精一杯は、地元の情報を発信することだ・・・。」
温厚な小田切さんの熱い実行力に賛同したアーチスト達からの東北への応援メッセージも
同時に放送されました。福島の表現で「さすけねぇ」という言葉があります。
「大丈夫だ・・」という意味で、沖縄の「なんくるないさ~」と同じ、優しさと心強さが込められた思いです。
風評被害に負けるなとばかりに「さすけねぇ喜多方!」とことだまが込められたポスターが貼られていました。福幸喜願コンサートありがとうございました。

四日目の福島市は 桜田葉子県議のご協力により、 県営あづま総合運動公園での慰問ライブからはじまりました。
南相馬市を中心とした避難場所として、はじめの頃は2000人を越す方達が寝返りもできないほど窮屈な状態だったそうですが、今はようやく段ボールで仕切られるようになっていました。それでもロビーコンサートに集まって下さった方の疲れ切った表情に心が締め付けられそうでした。津波で被災したその悲しみの重さをあらためて感じました。
避難場所におられるみなさんは、もう体力も精神力もストレスいっぱいになっています。
そんな中でもせっかく来てくれたんだから・・・と、歌う私を励まして下さるように、やさしく迎えてくれたのです・・・。最後にアンコールを頂いたとき、「Day by day歌って・・・」と、一番前でリクエストをくれた若いカップルの女性から「沢田さんの歌ずっと聴いてるからね・・癒されました。」と言ってくれて本当に嬉して、そして切なくなった・・・。ただ ただ ありがとうの慰問ライブでした・・・。

午後1時に向かったのは、今一番放射線量の高い飯舘村。
日本で指折りの中に入る美しい景観の飯舘村のモットーは「までい精神」
までいとは丁寧にという意味が込められているそうです。
ニュースでも大変な時期であるにもかかわらず管野村長は慰問ライブを快く承諾して下さいました。
「こんな大変なときだから、しばし音楽で癒されたい・・・」と。
飯舘村は2年半前に飯舘中学校で特別音楽授業をさせてもらいました。そのときの実行委員の生徒さん5人がわざわざ私に会いに来てくれていたのです。
までいに育ったあの頃の中学生はもう18歳の受験生になっていました。
誰もいない中学校の音楽室に集まって、久しぶりに再会の歓びをかみしめました。
当時の特別授業の模様をビデオで見ていると、なんだか私の授業は戦場カメラマンの渡部さんみたいに見えてきて、思わず笑ってしまいました。
(実は私、本名の旧姓は「渡部」なんです・・・父は会津生まれです。)
当時一緒に歌った「会いたい」も「GIFT」もカラオケでも歌ってくれているそうです。
そろそろお別れの時間となったころに、委員長だった高木枝里さんが代表で私にこんな事を言ってくださいました。
「今度は私達の成人式にこの飯舘村で歌って下さい」
平成26年の成人式は必ずこの飯舘村で集まりましょうと、村長さんも堅く堅く約束して下さいました。
放射線量の数値が下がるのを心から祈りながら、みんなで寄せ書きをして再会を約束してお別れしました。

福島市では震災の一ヶ月前に「光のしずく音楽祭」というコンサートをやらせてもらいました。その時に福島県庁へ表敬訪問し、細やかにご縁を繋いで下さった桜田県議は今回、今一番放射線量の高い飯舘村の管野村長への慰問ライブにも同行して下さいました。
光のしずく大使として、毎年福島で音楽祭を開こうと実行委員会も発足して、この慰問ライブをずっとアテンドして下さったホテル大亀の女将のりこさんとデビューからずっと応援して下さってきた元CDショップの三浦さんにもただ、ただ、感謝の思いでいっぱいです。「俺たちはもうファミリーだから・・・。」とハグして分かれました。

そして福島のシンガーソングライターでAVE(エイブ)の「福のうた」という歌に
コーラスでも参加レコーディングさせてもらいました。彼は光のしずく音楽祭にも参加してくれているご縁でしたが、喜多方から移動して福島市へ入った日にAVEがその歌のレコーディングをしていると聞き、急遽参加する運びとなったのでした。すごい絶妙なタイミングです。スタジオを快く貸して下さったラジオふくしまの鏡田アナウンサーにも感謝申し上げます。

今回慰問ライブの旅に賛同して、想いで参加して下さったギタリストの田嶌道生さんと、ノースロードのわたなべさん、音響の原さん、天野さん、鴻巣さんにも心から感謝です。

仕事を超越しての慰問ライブの旅は、お金には代えられない大いなる価値である絆を感じました。最後の帰る日に、腰痛がピークに達して、紹介して頂いた針灸の先生からも「福島のために大変お疲れ様でした・・・」とたっぷり料金以上の時間診て頂きました。これぞご褒美です。

おまけに・・・なんと帰宅したら、南会津町からそれはそれは大きなぷりぷりのアスパラガスが届けられました。風評被害に負けるもんかと、さすけねぇ南会津のまでいに育てたアスパラガスです。

風評被害の恐ろしい話も伺いましたが、目に見えない放射線量に怯えて生きるよりも、
今福島のためにできることを、地元の力を合わせてがんばっぺと、強い絆で結ばれているのを実感したのが、一番感動しました。AVEの歌もまさに福島の風が吹いています。
魂の叫びを感じます。彼のまっすぐな想いに揺さぶれて、「歌わせてよ~」と立候補しちゃいました。
しかし、ここが始まりの旅です。
またこれからも慰問ライブの旅を、東北への旅を続けて行こうと想ってます。