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知床らうす旅情

日本最果ての地、知床らうすへと行って参りました。
今回は常連の店であるお好み焼きの店「寿々」のマスターご夫妻含め6人のお馴染みさんを連れだっての町内会旅行となりました。

事のはじまりは羅臼町のイベント実行委員の方がわざわざ打ち合わせに東京までいらしてくれて、せっかくならば食事でもしながらと、ご近所の「寿々」へ向かったのでした。
女将が「知床らうすなんて行ったことないから、ぜひとも行きた~~い」という一言から常連さん4人が巻き込まれてのツアーとなったです。
この思いがけない町内会ツアーを羅臼実行委員のみなさんは、せっかくいらしてくれるのだから、徹底的にアテンドしましょうと、それはそれはきめ細かく計画を立てて、最高のツアーを演出して下さいました。

私は知床開きというお祭りのイベントで地元マーチングバンドであるブルーイーグルスとのコラボで「上を向いて歩こう」を歌い、「幸せになろう」をマーチングアレンジで演奏して下さいました。素晴らしいパフォーマンスに感動でした。
雨の野外ライブでしたが、これがまた羅臼のみなさんの暖かいこと、気温は10度以下にもかかわらず沢山の方が応援にいらしてくれました。
前夜祭の花火大会は長岡の花火に匹敵する海辺の花火が圧巻でした。
最後は羅臼公民館でのコンサートです。
地元の子ども達と羅臼高等学校の吹奏楽部の生徒さん達と大人のコーラスグループ総勢40名弱の方々とともに「GIFT」と「空を見上げてごらん」を歌いました。
「空を見上げてごらん」に関しては振り付けまでつけてくれて、羅臼のちびっ子たちの目がキラキラと輝いて、そのあまりの可愛らしさに会場は笑顔と涙が入り交じっての感動を与えていました。
みんなで沢山練習してくれていたんだなって思うと胸がいっぱいになりました。

その上、最後にはサプライズでデビュー25周年のお祝いの花束とケーキをステージに用意してくださって、夫までがそのサプライズに関わっており、あまりの驚きと嬉しさで化粧が全部落ちるくらいに涙腺が緩みまくりました。
本当にしあわせでした・・・。

この全てのイベントは羅臼町の町会議員の方々が自ら実行委員として動いて下さいました。
特にらうすファイブと呼んでいた5名の町会議員さんたちの活躍が見事でした。ジェントルマンならうすファイブのみなさんの賜で、最高な知床旅情となりました。
らうすで歌う「知床旅情」はグッと心に沁みました。地元のお人柄なのでしょう・・・最後は中標津空港でまたの再会を約束しながら、ほろりときました。

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漁師町である羅臼(らうす)は町民の3割以上が漁師として生計を立てており、ましてや鮭に関しては一流のブランドである時鮭、トキシラズと一万匹に一つとされているケイジが捕れる地域でもあり、鮮魚市場での漁師やバイヤーの顔ぶれはみなさん自信と輝きに満ちており、魚たちを売り買いするその様は、男らしい男っぷりを拝見させて頂くことができました。
そんな市場の中でもひときわ輝きを放つ、まさしく主役のトキ知らずの見事なこと・・・・。

な、な、なんとこの度、沢田知可子は知床らうすの鮭大使に任命させて頂きました~~~~!!!
その理由の一つに、夫である小野澤が世の中で一番好きな食べ物は鮭だと、最後の晩餐は鮭茶漬けを食べることにしているなどと打ち合わせの時にポロッと言ったのが決め手であったということで、もちろん私も精一杯好きであることをアピールしましたが、夫の情熱にはかないませんでした。
ま、夫婦ユニットで活動しておりますので、一心同体ということもあり、私が鮭大使と任命されたわけです。ありがたいっす。
正式に羅臼町長さんから野外ステージで授与して頂き、トキシラズを贈って頂きました。
また見たことのない大きなたらば蟹やケイジのしゃぶしゃぶ、きんきの煮付けとお魚三昧な旅を堪能しました。
最終日のくじらウォッチングクルーズでは、遙か遠くに双眼鏡でやっとこさ見えるところにくじらのしっぽが見えた~と夫は見ましたが、私は残念ながらこの目に焼き付けることができませんでしたが、これはまたいらっしゃいよというクジラさんからのメッセージだと受け取ることにしました。
羅臼町のみなみなさま、鮭大使としてこれからも羅臼の鮭を愛して応援させて頂きます。
どうぞ再び最果ての知床羅臼へと呼んで頂けますように・・・。
町内会メンバーからも楽しかったと歓喜のお声を頂きました。

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最後にこの羅臼イベントに沢田を推薦してくれて、子ども達への歌の指導も含め、何度も札幌から羅臼へと足を運び、縁の下の力持ちとして大活躍をしてくれた札幌の久美さんとニーヤンに深く深く御礼申し上げます。
「漁師町はやっぱり演歌が強いんだよ・・」という率直な意見に、沢田バラードを知ってほしいと
損得勘定抜きなプロモーションをして下さいました。本当にありがとうございました。
最高な旅でした。

鮭は4年に一度帰ってくると言われておりますが、トキシラズという鮭は一年後かもしれないし、いつ帰って来るかわからないからこそ、時を知らないという意味合いで「トキシラズ」と呼ばれているそうです。
鮭大使となった沢田知可子を「トキシラズ」として来年くらいにはまた呼んでくださいませ・・と
切に切にお願いして参りました

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