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心ハグして・・・。

震災から100日供養にあたる6月18日に岩沼の伯父の葬儀が行われました。92歳にして大津波に巻き込まれた伯父の家族は、伯父さんが人柱として家族を守ったとしか言いようのないような、一緒に逃げる瞬間に伯父が忘れ物を取りに家に戻ったからこそ、津波の勢いで車は松の木に押し上げられ、そこへ後から流れてきた神社のお社に車が乗っかったのだそうです。そのお陰で奇跡のように救われたとしたら、伯父が忘れ物を取りに戻らなければ、全員が車ごと津波にのみ込まれていたわけです。家族は翌朝ようやく救助隊に助けられ、伯父はその一週間後に仙台空港で見つかったそうです。空港まで300メートル以上も・・・しかしご遺体が見つかったことさえ、奇跡のようなものだとご家族が言ってました。この震災、津波で一瞬に奪われた尊い命の御魂はご自身が亡くなったことに気づくまもなく、何が起きたのか、受け止めることもできずに彷徨っていたと思います。葬儀というのは、彷徨うことなく、光のふるさとへ帰るための大切な儀式であるというのを、この葬儀で痛感しました。

沢山の参列の方からの祈りやことだま、おとだまに見送られ、ようやく鎮魂の旅路へついたと信じています。おかげさまでこの儀式のためにせっかく宮城へ足を運ぶことになりましたので、スタッフの方にお願いをして宮城の亘理町、福島の南相馬にあるフレスコきくちという大きなマーケットのご協力で野外慰問ライブをさせて頂きました。今、福島県はすでに90%以上も仮設住宅が整い、避難所というよりは、生活に密接した場所での慰問を奨めて頂き、フレスコきくちさんが快く場所を提供して下さったのです。亘理町ではなんと偶然にも中学時代の同級生が嫁いでいて、応援に来てくれました。大変なのは同級生であるのに、「がんばれ!みやぎって、書いて・・・」とサインにこの言葉を選んだ彼女の生きる強さをもらったように思います。お店の若い女の子達も、「もう家はぐちゃぐちゃになってしまったけど、がんばるしかないもんね・・・」と、笑顔で語ってくれました。「仕事があるだけ幸せなんだ・・」「仕事がない・・でも閉じこもっているわけにはいかない・・」そういって、ボランティアで今回の慰問ライブをお手伝いして下さったスタッフの想いに、胸がいっぱいになりました。南相馬では、ライブ中ずっとずっと泣いていた女性が最後にその思いを語ってくれました。5人の子どもを抱え、親たちの面倒も見ながらの12人家族。その大黒柱であるご主人だけが津波で犠牲になったそうです。途方に暮れることさえままならず、素直に泣くことさえできずに、生きるためにずっとここまで堪えて堪えてふんばってきたそうです。そんな彼女をおもいきりハグして・・・思う存分、その深い悲しみを抱きしめているようでした。私はこのために歌わせてもらっているんだと気づかされた瞬間でもありました。もちろん私が癒してあげられるはずもありません。そんな事はおこがましいことですが、歌の力は信じています。歌うこと。歌を聴くこと。そのメロディーと詩と歌声の波動がどれほど心と体に効くことか・・・信じて歌ってます。歌セラピー・・・慰問ライブで体感して頂けたら本望です。